面白くなりたい麦笑いの七味

だらけきった思考

書籍『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキという男

 ツチヤタカユキという生きざま

 やめられない止まらないかっぱえびせんの事ではない。この本の著者は「笑い」を12年間ノンストップで考え続けた。最盛期は、1日に2000個のボケを考えていたというから驚きだ。どこかのお嬢さまが「私、ピアノ12年やってたんですよ」というのとは格が違う。著者の笑いへの命を懸けた経験値全振り具合は狂気であり、自らを痛めつける凶器だった。 

[http://:title]  大阪出身の著者は、中学性の頃にNHKの「ケータイ大喜利」という番組を契機に「笑い」に盲目になる。その後、吉本に入るも「人間関係不得意」で辞め、ハガキ職人という立派なホワイトカラーになった。とどのつまり、社会不適合者だ。しかし、天は彼を見放さなかった。売れっ子であるオードリーの若林さんが、著者のラジオ投稿を好み、作家として東京に誘う。著者は上京するが、すぐにそこでも人間関係に道を妨害される。大阪に帰省し、最後の笑いへの挑戦に挑む著者は、そこで笑いとの決別を決意する。。。 

 

[http://:title]   【以下に続く】

 思わず笑みがこぼれた印象的なシーンを2つだけ紹介したい。

 1つ目は、ホストクラブのバイト面接にて、筆者がなぜ坊主にしているか理由を聞かれるシーン。

 ホストが「なんで坊主頭なん?」と聞いてきた。その質問をされた瞬間、ボケが大量に思い浮かぶ
 <ご近所におすそ分けしたので>
 <父がサンプラザ中野、母が瀬戸内寂聴なので>
 <顔面をたまに、ボウリング球として使用することがあるので
 毎日ボケを大量生産しすぎたせいで、まともに答えることすら困難になっていることに気づいた。(P.60-61)

これが自然に浮かぶという筆者は恐ろしい。そして面白い。息を吸って吐く様に「笑い」を形成できるとはこういうことなのかと衝撃だった。この状況は、面接のため、ボケを言うのはさすがにダメだろうが、これがもし普段の会話だったとしても、著者は上記のマルシー著者のボケを言わなかっただろう。もったいない。思えば、筆者は、自らで人を笑わせたいと述べているのに、ラジオ越しの「笑い」を生むだけで、実際に相手の笑顔を見ようとは1回もしない。筆者は、人の笑顔ではなく、自らのボケで他人を笑わせるという「支配」に飢えているのかと思った。笑いの持つ、コミニュケーションの円滑化という効果はどうでもよいのだろう。

 2つ目は、帰省してきた筆者に対し、同期が激励の言葉をかけるシーン。筆者は、その言葉に揺らぎながらも、焦るように自動生産したボケでいなす。

「‥‥‥くっさ」「あ?」「なんかこの店、くさない?」

「そうか?」「あっ、これおまえの臭いか‥‥‥」「いや俺ちゃうわ」……「世界中のウ〇コの憧れの的やからな、おまえ」……「おまえに憧れて、上京するウ〇コもおるらしいで」(p171、172)

自分の実力を認めてくれる同期からの言葉が、嬉しいはずなのに、素直になれない。そんなもどかしい空気感が、この終始暗雲の立ち込めた様な本書に、刹那の和みスパイスを効かせている感じがした。

 

 最後に

 読了後、何か一つのことを頑張りたいみたいな、「努力は必ず報われる」みたいな日当たりの良い感情は残らなかった。というのは、東京進出の誘いという日の目を見るまでに男に吹き付ける北風が強すぎるからだ。ただ長年、自らの唯一の正義である「笑い」のせいで思い悩む著者の姿に、人間の愛おしさを感じた。そして、最終章では、自らの才能・価値観だけを信じ、そこからの逃亡を弱さとしか見なさない人に、本書はそっと優しく寄り添い、辛い状況から逃げるのも強さで、かつ勇気だという事を教授してくれる気がした。